栞いろは歌  禅のことをもっと…

琉璃古殿照明月 何不向無寒暑處去(るりこでんめいげつをてらす なんぞむかんじょのところにむかってさらざる)

臨黄ネット栞「る」 琉璃古殿照明月 何不向無寒暑處去(るりこでんめいげつをてらす なんぞむかんじょのところにむかってさらざる)


美しい琉璃の珠でできた古殿に明月が照らしておる。透明な水晶の珠でこしらえたような御殿だ。仏見法見の塵一つなく、八面玲瓏、しかも明月と相照らし合い全体露現している。琉璃古殿、明月を照らし、明月、古殿を照らすだ。老洞山の無寒暑の境界を形容しておるのだ。生死の中にあって、生死のない世界、苦楽のない世界、暑いも寒いもない世界だ。・・・(中略)・・・琉璃の御殿に明月が照らしておるような光景を眺めると、ちょうど腹の減った痩せ犬が、何ぞ餌にありつきたいと思うてキョロキョロするように、そういう御殿に一度入ってみたいものだと思うが、実はそんなものは夢物語で登れるわけのものではない。寒暑のない世界などがこの世の中にあるわけはない。楽しみも苦しみもない世界がこの世の中にあるわけはない。生きるも死ぬるもない世界がこの世の中にあるわけはない。生き死にの真っただ中で生き死にを離れていかねばならん。苦楽の真っただ中で苦楽を離れていかねばならん。どうしたら離れることができるか。苦しい時には、「苦しいッ」と言って離れていく。愉快な時には、手を打って、「ああ、面白いッ」
と離れていかねばいかん。暑い時には、「暑いッ」と離れていかねばならん。寒い時には、「おお、寒いッ」と離れていかねばいかんではないか。寒時には闍黎を寒殺し、熱時には闍黎を熱殺すだ。

《原典・碧巌録/引用・山田無文著『無文全集』第二巻「碧巌録』(禅文化研究所)より》

写真 京都/渡月橋付近・天龍寺 托鉢